静かな生命讃歌

4/13

青葉市子ちゃんのライブに初めて行きました。

 

昨年のいつかに細野晴臣さんを通じて彼女の声を知り、昨年の秋に初めてアルバムを買って、心がざわつく時に(そして今まさに)静かであたたかな彼女の声を吸収してきました。

 

彼女の声は、例えるなら春の陽光だったり、雫が静かな水面に一滴落ちた時に拡がる水紋のようでもあり、ある人は「脳が溶けるようだ」と言っていました。私も彼女の音楽をカナルイヤホンで聴くと、脳に、身体中に光が満ち満ちていくような感覚や、その音楽がイヤホンから流れているのか、私の脳の中で勝手に鳴り響いているのかわからなくなることが、よくありました。

 

そんな彼女の声を目の前で聴いてきました。

その日の市子ちゃんはエメラルドグリーンの柔らかそうな、黒いくるみボタンがたくさんついたワンピースに、素敵な柄のストールをかけていました。

画面越しに何度か見たとおりの柔らかいオーラの女性。

 

かと思ったら、1曲目で驚いてしまいました。その曲は私もiPhoneに入れて何度も聞いた大好きな、寂しげな曲だったのですが、市子ちゃんの目がすごく鋭いのです。弦を押さえる左手を見るその目を見て、私は山口小夜子のあの切れ長の目を思い出しました。

 

そして、打って変わって2曲目は春にふさわしいあたたかな曲で、市子ちゃんも柔らかく笑いながら歌っていました。その姿と初めて聴いたその曲の優しさが相まって、ここで初めて泣いてしまいました。

 

その後、意外とコミカル(ただし静かに語られる)な日常のお話や、市子ちゃんが語る物語や、曲ができあがるまでのエピソードなどを交えて、静かに、時々少し跳ねたくなるようにライブは進んでいきました。突然演歌調の曲が歌われ、こんな曲もできるのかと驚いていたら、なんと美空ひばりさんの1949年の歌「悲しき口笛」のカバーでした。クラシックギターとともに囁かれる演歌は、新しくて素晴らしい発見でした。

 

お話の中で特に印象に残ったものが2つ

(記憶を頼りに書き記しているので、話したことばそのままではありません)

 

ひとつが

「あるところに小川が流れていて、その端っこに男の子が立って泣いていました。涙は小川になり、時々瞳からめだかがこぼれました。そのめだかは大きくなったら女の子になり、その女の子が夢の中で歌を教えてくれました。夢では1番しか教えてくれなかったので、続きを書きました。」そして、「ゆめしぐれ」という歌が続きました。動画で知っていてとても好きな曲だったのと、曲が生まれたエピソードがあまりに綺麗で、ここでも泣いてしまいました。(あとで知ったのですが、隣で聴いていた同居人はこの物語とそれを語る声があまりに良くて泣いてしまった、と聞いてなぜか私が嬉しくなりました)

 

 

もうひとつは

「喫茶ソワレに行ったことはありますか。(少し忘れたので中略)人はみんな生きているけど、いつか死んでしまう。ここにいるみなさんも、いつかは必ずみんないなくなる。もしここにいるみなさんがいっせいにいなくなるようなことがあれば(笑)、その時は喫茶ソワレでまたお会いしましょう」そして、「ウロコ、ロコロコ」という歌。市子ちゃんに言われたので、これは目を閉じて聴きました。目を閉じると眼前に広がる、喫茶ソワレのあの深い深い青。虚脱した身体がゆっくりと、深海に沈んでいくようでした。

 

アンコールはなんとピアノの弾き語り(「みなさんにお尻を向けてごめんなさい」と愛らしく謝っていました)。来月ヨーロッパツアーに発つそうで、言語が通じない中でどうやって表現できるか、と行った旨を話されていました。弾き語られた歌のことばは、一瞬フランス語かと思いましたが、正確にはわかりません。その時はフランス語だと半分思いながら聴いていたので、「市子ちゃんの声でフランス語、なんて贅沢な音と発音だろう」とうっとりしながら聴いていました。

 

約2時間のライブ。

ライブというよりは琵琶法師の語りに耳を傾けていたようでした。

音源だけで聴く彼女の声は冒頭に表した通りのイメージでしたが、目の前でさまざまな話や物語、彼女が普段感じていること、彼女の表情や動きを交えて聴くそれは、また別のものでした。それは当然うつくしくて、でも愛らしいときも、淋しさも、格好よさも強さも、色々なものが詰まっているのだと感じました。マイクとスピーカーを通してすぐそばで聞こえているはずなのに、深い森の中の霧を越えて、すごく遠くから、なのにはっきりと優しく、聞こえているようでした。

 

彼女の書くことばはとてもうつくしいおとぎ話のようなのに、どこか仄暗くて死を思わせるところがある、と感じていたのは間違いではなかったと確信しました。でも彼女が見ているのは、例えば1mmに満たない小さな羽虫がすぐに死んでしまうのにそれでも一生懸命に生きているような、死と隣り合わせの愛らしい生命であるように思います。羽虫だけではなく、犬も猫も、人間も、必ず等しく死を迎える生命を。青葉市子ちゃんの音楽はそんな生命への讃歌なのかもしれないと感じました。

 

「はるなつあきふゆ」を聴きながら