近所にいい公園があります。
昼間はお子さんや親御さんが遊びまわっていて、夕方以降は主にタクシーや運送の運転手さんの憩いの場。お兄ちゃんたちが野球してることも。
立派な2本のソメイヨシノ、八重桜と山桜が1本ずつ、あとコブシなんかもあります。
ベンチが4つくらい、遊具もそこそこ。
決して大きくない、よくある住宅地の中の公園ですが、いつも平和を詰め込んだ景色が見られる大好きな公園です。
誕生日、病気になってからは大体毎年憂鬱でした。
「あぁ、◯◯年生きてしまった」と思います。
あとGW開けて直後なので昔から祝われにくい。
何より抑うつ癖がついてから正常な自己顕示欲が失われ、「今日は私の誕生日」を匂わすことすら億劫です。仮にツイッターで匂わすつぶやきをしても実は勝手にドギマギしています。
そんなわけで今日も午前中は憂鬱でしたが、少しだけドレスのお仕事をして適当な昼食をしたあと、振込や買い物の用を済ませよう、日光浴びたら気分晴れるかもと思って自転車を走らせました。
走らせて5秒でびっくり、家の裏の小さな天満宮でおばあちゃまが2人仲良く腰掛けて日向ぼっこ(おしゃべり?)をしていました。
そのあとまたすぐに家の裏の裏にある公園から駆け回るお子さんの元気な声。
郵便局に向かう大好きな路地をゆっくり走れば左右の家々の前を飾るいろんな植物、前からゆっくり杖をついて歩いてくるおばあちゃま。並んでおしゃべりしながら自転車を押す奥様たち。
なぜか「私はこのよその土地に生かされている」と思いました。
そのあと用事を済ませて、コンビニでパンとコーヒーを買って、冒頭の公園で一休みしました。あんなに見事に咲いていた桜が、もう跡形もなく新緑です。
キャーキャーと笑いながら目一杯走り回る幼稚園の制服を着たお子さんと、一緒に走り回るお母さん。ブランコにはドカタの仕事をしてそうな格好のパパさんと娘さん。
桜の木のそばで、もう少し大きな少年少女が、シートを敷いて何かで遊んでいました。
私の正面には杖をついたおばあちゃまがベンチでひとりお子さんたちを眺めていて、私はこれらの光景と、私の真上にある桜の若葉や青空とを交互に眺めました。
これが平和だ、と思いました。
ここにいる皆さんがずっと幸せで、桜の木たちがずっと立派に成長できるといいなと思いました。
いつか見た「これが孤独で、死だ」と思った真っ暗な海と対極の光景を、やっと発見できました。
あと1年で20代が終わります。
決して悪いことばかりではありませんでしたが、それでもなんて20代だったんだろうと思うほど不安定で、学生時代のツケが全て回ってきた気分でした。
まだ当分は金銭・情緒面の不安と闘わざるを得ませんが、とりあえずゆっくり仕事を始めて、遅すぎる自立に向けて準備したいと思います。
今度こそ「まずは」1年間、大きな波なく過ごせますように。
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「なんて最低な人生だろう」という嘆きは、決して客観的で相対的な話ではなく、自分の心がそのような状況にあることを意味しているに過ぎない。