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雑誌「世界」のひろゆき論を読んだこと、ネオリベとリベラル、経済系のYoutube チャンネルとそういう人たちの親和性、昼間観たイオセリアーニ『そして光ありき』について、字幕がほとんどないこと、強固な筋書きのないこと、「なんかわからないけどすごい好き」(言葉にする努力を怠るというよりは衝撃が言葉による規定を凌駕するという状況において?)そういうふわふわなものと経済の界隈は相性悪そう、「曖昧なものをそのまま受け取ることのできないわかりの悪さ」(というようなことを言ったトーマス・マン人文主義)、人間は多面体であるから完全な強者も完全な弱者もほぼいないので、リベラルから振るい落とされた彼の取り巻きたちがあらゆる面で弱者かというとそんなことはないし、そう反省できる余裕、曖昧なものを慎重に考えようと思える余裕や手の届く範囲に人生を熟慮した先人の本がたくさんある幸運に恵まれた点において私はとても強者だと思う、

というようなことをポケモンの準伝説の杭抜きしながら同居人に話したので少し頭が楽になった。

片端から疑うことは本当に大変で難しいことだし、何も信じないというのは生きている限り不可能だと思う。