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お昼の買い出しの後、車椅子の駅伝があるために西大路が一時横断できなくなった。選手と選手の間が随分と空いていても警備の警官は通してくれず、一条で待っていた子連れのお父さんが「予定があるから渡らせてくれ」というと、トランシーバーでごにょごにょ相談して、「白梅町の方で渡ってくれ」と上がらせる。しばらくして「渡りたい人は白梅町へ」ということになり、渡りたい人はぞろぞろ上がって行くのだが、一条から白梅へ上がる間に横断歩道はまたストップされてしまい、なぜか車ばかりが通される。いつまでも通してくれない警官、しまいに「渡りたい人いますか」と火に油な呼びかけ、ところが時々選手が通るとイライラしているはずの人たちもなんとなしに拍手を送る。「がんばれー」という声も。硬直して臨機応変にいかない体制、不満を抱えながら大人しく待ち(選手に罪はないよなあ)と自身を宥めるかのような拍手、日本の縮図だった。

私は待っている苛々よりも、こういう時刺々しい文句を大っぴらに呟く同居人の隣にいるのがちょっとだけ恥ずかしいのと、とにかく荷物は重いしお腹が減ったなあとふらふらするばかりだった。暇つぶしに同じように待つ人たちの服や様子を観察するのは面白かった。一条で待っているとき、隣で「しょうがないやね」という感じで座り込む帽子を被った初老の夫婦がなんだかよかった。

30分ほどしてやっと横断解禁となった時、白梅町の交差点が渋谷のスクランブル交差点さながらだった。