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病院帰りに『ミッシェル・ガン・エレファント "THEE MOVIE"』を弔い代わりに観る。冒頭の『ドロップ』で早速涙がだらりと来たけど、基本さめざめと泣いたりじっとしていられる音楽じゃないので、クハラさんのドラムやアベさんの左脚に合わせて足踏みまくり普通に楽しんだ。『世界の終わり』はさすがに泣いた。でももともとアベさんという故人を信奉しつつのめり込んだ人たちだったから、この映像で「チバひとりを弔う」ということが結構難しかった。The birthdayを追っていなかった私はチバのことも同じ世界に生きる人じゃなくて偶像崇拝的に好きだったのかもしれないと今日気づいた。あるいは、作品というのは作り手と受け手を繋ぐものであると同時に個人と個人を阻む壁でもあって、私の場合壁としての作用の方が大きいのかもしれない。その向こう側に生身の人間がいるという実感が湧かない。交響曲第九番やゴールドベルクの向こう側にベートーヴェンやバッハの実存を感じられないのに近い。

よくわからなくなってきたから書くのやめる。一方通行でしか知らない人を弔うってどういうことだろう。