デカルト『方法序説』

3/24解読おわり

語学、哲学、歴史、科学、いろんなことにほんの少しずつ触れた

【語学のこと】

・どんな気持ちでこの単語を、この文法を使っているのかと考えながら調べるのが楽しかった ひとつの文法、ひとつの前置詞にほとんどきちんと意味があった

・英語に直した方が概念が掴みやすいときがあった

・二重否定がずっと苦手

マトリョーシカ構造がすごかった、一文でほぼ1pということもあった

・接続法と虚辞のneが最初は意味わからなかったけど、少しだけ感覚が掴めてきた

・どこからどこまでが修飾なのか、挿入節なのか、どことどこが並列されているのか、のヒントは動詞の人称・時制・活用の有無で見分けられた 特に節が並列される場合、時制が揃っている文がそうなっていることがとても多い

・文法上不完全に見える文は、前文からの繰り返しのため何かが省かれていることがある

・2ページに丸1日とか、たった一文に30分とか、贅沢な時間のかけ方をした いつまでもこの時間のかけ方である必要はないと思うけど、少なくとも日本語でもなんでも早読みはダメだなと強く思った 「わかるところこそ何度も読め」と宣長さんも言ってた

・プティロワイヤル様様 特に付録の文法解説様様 紙の辞書がこんなにいいものと思わなかった 昔は時間を惜しんで電子一択だったけど、紙で読むとことばの海を泳いでいるようだった

・やはりことばはいきものだと思った どうしてもこまかい揺らぎがある それは400年という時間の流れのせいかもしれないし、人間が使うものだからかもしれない

・これを読みながら坂口安吾を読んでいて、外国語を訳した日本語文と母国語として書かれた日本語文がまるで別物だと思った

・言われてみれば英語と同じな単語、日本語に侵入している単語がたくさんあって面白かった ドイツ語も英語と似ているところがあるので、英仏独を同時にやるとボキャブラリー強化になると思った

・ところどころこの訳や解釈は納得できないと生意気にもプンスカしたけど「それでもこの苦労をしないで日本語で読めてしまう恩恵に感謝しろ」と言われそりゃそうだと反省した むしろひとつの言語から別の言語に完全に変換するなんて当然不可能だと思った

【哲学のこと】

・正直全く読めていない 解読に必死で

・Je pense, donc je suisを見つけた時は感動した、ミーハー根性 一文前に予感がしたのは嬉しかった

・本当に意味が分かってない()のでこの大事な第一定理がそのあとどういう文脈で出てきたか全然把握してない まじでただのミーハー根性

【歴史のこと】

ガリレイの宗教裁判など、科学の歴史的節目の時期な感じがした 特に第6節、そういう状況下で自分の論を出すか出さまいか逡巡している「生身の人間」の姿が垣間見えた

・第5節心臓の仕組みについて 参考資料にと心臓の解剖図や仕組みを瞬時にググって、参照しながら読んだ 私はすぐにそんなことができるけど、当時初めてこれを読んだ人は、もしかしたら初めて心臓の仕組みに触れたのかもしれないなぁと400年前のとあるフランス人のことを思った

・心臓が熱膨張で動いてると言っていた、科学は揺らいで揺らいで続いていくんだなと思った

【科学について】

・理系は放り投げてきたけど物理やなんやら勉強したら楽しいんだろうな、きちんと勉強したら楽しくない分野なんてほとんどないんだろうなと思った

・第4節終わりあたり、これでもかと"Comme..."と自然現象に問いを投げかけた2ページ、熱を感じた

・具体性があったとはいえ、その部分で動詞の意味がある程度推測できたのは、私に理科の義務教育が施されていたからだと感じた

・当時は大問題だったけど今では判明しているたくさんのこと、でもその「判明している」も決して完全ではなくて、そして歴史が進むごとに修正が加わるかもしれない

・神様がよく出てきたけど、「なんでそんなことになっているのか…」というのの究極の答えを神様に投げるしかなくなる気持ちはすごくわかる 

・心臓の仕組みをwikiで調べてから、道端の小鳥たちが可愛くて仕方ない あの小さな身体に私と全く同じ仕組みの心臓があるなんて

【他】

・タイトル通り「序説」だったので、ここに書いてある問いの具体的な考察は続きを読まなきゃならない 少なくとも『世界論』読みたい

・でも序説とは言いつつそこだけ切り取られてこんなに名を馳せる論なので、"Je pense, donc je suis"をミーハー根性で終わらせるのは大変大変いただけない……かなしい………

・我ながらよく最後までやれたと思う やれた理由は間違いなく①人からの評価が全く介在せず自分の興味のためだけにやったこと②どれだけわからなくても単語が覚えられなくても一切自分を責めなかったこと③自分に対するハードルを極限まで下げ「他言語がそんな簡単にわかるものか」と割り切れたこと